【遺伝子分析が語る氷河期の人類の秘密】

前回からの続きである。

やや、易経そのものの話と離れているが、易経64卦を含めた謎の知識の起源を考察する。

前回記事:【遺伝子と易経、氷河期と人類】現生人類の素性

遺伝子分析が語る氷河期の人類とネアンデルタール人との関係

前回に続き、氷河期における現生人類につながるネアンデルタール人との関係を考えてみたい。

ネアンデルタール人と氷河期

再現されたネアンデルタール人。
再現されたネアンデルタール人。彼らは我々の祖先の一つで、現代に生きていても外見的にはほとんど違和感がないといわれる。(Neanderthal-Museum, Mettmann - Pressebilder Neanderthal Museum, Mettmann, https://www.neanderthal.de/de/urmenschen.html, CC 表示-継承 4.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=94895244による)

ネアンデルタール人が繁栄していた時代は氷河期の真っただ中で、北半球の北極周辺は広範囲が氷床に覆われていた時代である。

映画などではすべてが氷結した氷河期の世界像が描かれたりする。

しかしながら一般的な氷河期のイメージとは異なり、実はこの時代に地上すべてが氷河で覆われていたわけではない。

赤道周辺は温暖だったし、また多くの低地が陸地であった。

この時代、東南アジアのマレー半島とスマトラ島、カリマンタン島などはすべて地続きで広大な「スンダランド」を形成していたし、ペルシア湾も陸地だった。

スンダランド。
スンダランド。氷河期は海水面が現在よりも100メートル以上低かった。東南アジアにはスンダランドと呼ばれる広大な陸地が存在した。(Maximilian Dörrbecker (Chumwa) - Self made, using this map for the background, CC 表示-継承 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=7382691による)

この当時、我々現生人類の祖先は非常に衰退しており、絶滅寸前までその数を減らしていたと考えられている。

一般的にはこの時代は旧石器時代に属しており、我々の祖先はいわゆる「原始人」として狩猟採集生活を営んでいたといわれている。

一方でネアンデルタール人の系統もこの時期には並行して存在しており、これについてはさまざまな活動の痕跡が見られる。

彼らは数自体はそれほど多くはなかったらしい。

推定人口は2万人程度という説もある。

だが彼らは現生人類の祖先よりも先に様々な技術を身に着けていた。

現在確認されている彼らの活動の痕跡は、135000年前から24000年前のもので、それ以降は生存を確証できる化石等は見つかっていないため、オールダードリアス氷河期の終わりごろ絶滅したと考えられてきた。

現生人類との争いで滅ぼされた、という説もあった。

ところが、最近になって驚くべき事実が判明した。

wikipediaから引用すると次のようになる。

2010年5月7日の『サイエンス』誌に、アフリカのネグロイドを除く現生人類の核遺伝子には絶滅したネアンデルタール人類特有の遺伝子が 1 - 4 %混入しているとの研究結果が発表された[124][84]。これは、現生人類の直系祖先が出アフリカした直後、すなわち 約12万〜約5万年前の中東地域にすでに居住していたネアンデルタール人類と接触し混血したこと、その後ヨーロッパやアジアなど世界中に拡がった現生人類は約3万年前に絶滅したネアンデルタール人の血を数パーセント受け継いだことが明らかになった[125]。

さらに2014年の研究では、現生人類がネアンデルタール人と中東地域で混血したのは今から6万年くらい前のこととしている[126][127]。ネアンデルタール人からの混入遺伝子は、現生人類の皮膚・爪・髪の形成など繁殖に重要でない遺伝子部分に細分化されて多く残っており、白っぽい皮膚、金髪や赤毛、青い目などといったいくつかのコーカソイド的特徴や、インフルエンザウィルス耐性などは、ネアンデルタール人から受け継いだ可能性が高いとしている[128]。

混血の子供は現生人類集団のみが育てたのか、すなわち絶滅してしまったネアンデルタール人に対する現生人類遺伝子の混入もあったのかどうか。これについては、ネアンデルタール人集団が短期間に消滅したためにあまり分かっていないが、アルタイ山脈で発見され、2014年に解析されていたネアンデルタール人女性の再分析でそのDNAに現生人類のDNAが混入していたという2016年の発表もある。また、ネアンデルタール人女性が交配して遺伝子が移入した場合はネアンデルタール人男性が交配した場合と違ってX染色体が他の染色体と大体同様の比率で移入するはずであるが(女性がXXで男性がXYであるため)、そうなっていないため、ネアンデルタール人の男性と現生人類の女性の混血が多かったと想定されている。もっとも、現代に伝わるだけ大規模な混血であるので、数人規模の混血ではない。[129]

「ネアンデルタール人の男性と現生人類の女性の混血が多かったと想定されている」というのは、エノク書において「天の見張りのもの」が人類の女を妻にすることを覚え、人類の女とのセックスで巨人を生み出した、とする記述とやけに重なる。


出どころ不明の知識

ストーンヘンジ。
ストーンヘンジ。高度な天文観測の構造が見られる。正確な建造年代ははっきりしない。garethwiscombe - https://www.flickr.com/photos/garethwiscombe/1071477228/in/photostream/, CC 表示 2.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=13278936による

エジプトのピラミッド群を始め、ストーンヘンジにしろ古代の謎の建築物の多くは天体の運行や地球の歳差運動など非常に長期にわたる天体観測でしか知りえない知識に基づいて建造されている。

ここで問題となるのは、

1,こうした知識を得るためには、数万年単位での天体観測が必要である。

2,ピラミッドなどの巨石建造物を建設するにも未知の技術が必要。少なくとも現代の建築工学ではピラミッドのような巨石建造物を建造することは不可能である。

3,こうした高度なテクノロジーに類するものは、途中の発達過程がなく突如出現したように見える。

といったあたりだ。

そこで、さまざまな仮説が出されてきたが、我々現生人類の発達過程からするとどれも説得力に欠けている。

だいたい、こうした疑問に解答を与えるとすれば、「地学的な観測技術や巨石を動かすテクノロジーが氷河期にさかのぼる太古にすでに存在していた」と考えるしかない。

だが、証拠もなく、経緯がよくわからないのだ。

だから頻繁に「古代の宇宙人がこれらの知識を伝授し、またテクノロジーはUFOなどが協力した」といった説が出てくる。

しかし、宇宙人との「未知との遭遇」があろうとなかろうと、大洪水で世界が一変する以前の膨大な時間があったのは確かだ。

氷河期の時代だけでも数万年もの期間があり、天体観測をするにも技術を発達させるにも十分な時間はあった。

そこで、多くの人が、そうした時代に「アトランティス」のような偉大な古代文明があったのではないか?と仮説を立てた。

しかし、この問題が非常に難しいのは、ヤンガードリアス氷河期終結前後の大異変で、それまで人類が繁栄していたかもしれない土地の多くは溶融した氷河の大洪水や隕石衝突で洗い流されてしまっているし、また温暖だった低地の多くが海水面の上昇で水没してしまっている。

そのため、痕跡を確認することが困難なのだ。

また、我々、現生人類を考えた場合、少なくとも氷河期において高度な文明を構築していたかどうかについては、可能性はないわけではないものの、証拠がないのも確かなことだ。

論理的には、なんらかの進んだ知識や技術が1万年以上前に存在していなければおかしいとしても、「証拠」がない以上は、一切のことはわからない。

それがグラハム・ハンコックやチャールズ・ハブグッドらの主張の最大の問題点である。

彼らは反証の証拠もない、と反論するが、しかるに証拠が消滅してしまっている事象については議論はできず、あくまでも推測で考えるしかないのである。

彼らの主張自体は非常に興味深いものがあるが、現生人類がいわゆる「アトランティス」を形成していたと考えるには、どうしても証拠が乏しく、謎は謎のままである。

だとしても、私たちが想像し、仮説を立てていくことは自由である。

その点において、私は彼らの仮説も、非常に興味深く感じている。


誰が?

ところで、ここで少し視点を変えて、「大洪水前の旧世界においてこうした知識や技術を発達させた現生人類とは別の人類がいた」と仮定することは無理な話ではない。

我々、現代まで生き延びた人類種以外にも、人類はいたからである。

ネアンデルタール人はその代表的なもので、ある意味我々の祖先の一部であるが、他にもクロマニヨン人という謎の多い人々もいた。

またそれより以前にはホモ・エレクトゥスという人類種が世界中に拡散していたこともわかってきている。

ホモ・エレクトゥスの化石。
ホモ・エレクトゥスの化石。彼らが生存した期間は200万年ともいわれる。しかしその実態はよくわかっていない。(コンピュータが読み取れる情報は提供されていませんが、Luna04~commonswikiだと推定されます(著作権の主張に基づく) - コンピュータが読み取れる情報は提供されていませんが、投稿者自身による著作物だと推定されます(著作権の主張に基づく), CC 表示 2.5, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=390526による)

もちろん、現段階では証拠はなにもない。

だが、いまだに謎の多い人類であるネアンデルタール人、クロマニヨン人や、それ以前のホモ・エレクトゥスといった人々は、我々現生人類よりもはるかに早い時代に地球全土に拡散していた。

そしてその拡散にあたっては高度な航海技術や船舶を使用していた可能性が高いのである。

これは、現生人類やネアンデルタール人よりも脳の容量が小さい人類であったホモ・エレクトゥスですら航海技術がなければたどり着けないはずのはずのオセアニアあたりで化石が発見されているからである。

ホモ・エレクトゥスが生きた時代だけでも200万年という長い期間だ。

我々現生人類が現代的な科学技術を発達させたのはほんの200年程度の期間のことであり、人類と技術というものは必ずしも数千年もの期間がなければ発達しないわけではないことは我々自身が証明しているではないか。

現生人類が増殖する以前に地上に生きた人類の時代が長かったことからすれば、天体観測にしろ知識や技術の蓄積にしろ十二分な期間があったことは確かなのだ。


遺伝子分析で明かされる、氷河期における人類の「交配」の実態と氷河期の文明?

我々は一万年以上昔のことについては実は何も知らない。

一般的にはヤンガードリアス以前は旧石器時代で、愚かな原始人しかいなかったとされている。

しかし、膨大な時間があった氷河期以前に、あるいは現代とは異なる文明があったとしても不思議ではない。

交配

現生人類プロトタイプとネアンデルタール人の交配。
オールダードリアス氷河期に行われていた現生人類プロトタイプとネアンデルタール人の交配。これは、遺伝子分析では広範に組織的に行われていた可能性が極めて高いという。

長く続いたオールダードリアス氷河期について、現段階でわかっていることは、この時代、我々現生人類も、そしてネアンデルタール人も、絶滅危惧種だったということだ。

これは、我々の遺伝子を解析すると、極端に人口が減少し、少人数の集団の中で近親婚が行われた形跡が確認できるからである。

ネアンデルタール人については多くても数万人程度の規模まで人口が減少していた。

ネアンデルタール人は遺伝子的にはコーカソイド的な特徴を持っており、寒冷な時代においては現生人類よりも有利なはずであったが、しかしその数が減少の一途をたどっていった理由については判然としない。

ジャレド・ダイヤモンド氏らの考え方からすれば、ウイルス耐性が弱くて病原菌に対応できなかったのではないか、といった仮説も成り立つであろう。

一方で現生人類のプロトタイプについてはネアンデルタール人よりもさらにオールダードリアスにおいては小集団ごとに隔絶され、大幅に人口が減少していたと考えられている。

ところが、ここで奇妙なことが起こる。

この期間のどこから始まったのか不明だが、現生人類のプロトタイプとネアンデルタール人の交配が発生するのである。

それは中東地域で最初に起こった可能性が高いという。

中東は、古代文明の痕跡が最も多く残る地域の一つである。

それも、ここまで見てきたように、その交配はたまたま偶然といった規模ではなく、むしろ率先してネアンデルタール人が現生人類プロトタイプの女性を妻とし、交配を行ったのでなければ説明がつかないという。

またネアンデルタール人は、近縁種のデニソワ人とも交配を行っていたことがゲノム解析で明らかになってきている。

こうした交配が広く成立するためには言語でコミュニケーションをとる必要がある。

そうした意味では、ネアンデルタール人もなんらかの言葉を話していたことは間違いないことだろう。

私は科学者ではないから、これらは情報として私が触れていることを書いているに過ぎない。

しかし、こうした現代のゲノム解析が教えてくれることは、重大な事実を教えてくれている。

それは、私たち現生人類は現代まで生き残ったが、それはこうした交配の結果であるということだ。

事実として、ユーラシア大陸、オセアニア含めて現在生存している現生人類はほとんどすべてがネアンデルタール人の遺伝子を保有する。

アフリカ以外では、この混血が無いものは現代まで生き残っていない、とさえ言えるのである。

(一部、アフリカにはこうした混血遺伝子を持たない現生人類プロトタイプにあたる人々がまだ生き残っているが)

ネアンデルタール人遺伝子は、我々が保有するのは1-4%というが、それはネアンデルタール人の純粋種の方が先にいなくなってしまったからだ。

ネアンデルタール人については現生人類との競合で死滅した、という説が以前は有力だったのだがゲノム解析とは非常に面白い。

事実は真逆である。

ネアンデルタール人と現生人類プロトタイプは競合するのではなく交配の道を選択し、我々の中に姿を変えて生き続けている。

このことは、非常にいろいろなことを考えさせられてしまう。

限りある生命の中で、限りなく変化を繰り返しつつ未来世界につながっていこうとするのが我々遺伝子生物すべての持つ使命であることを、改めて実感させられてしまう。


遺伝子の知識?

遺伝子の構造モデル。
遺伝子の構造モデル。これはフランシス・クリックにより発見された。しかし、遺伝子に関する何らかの知識は、氷河期にすでにあったのかもしれない。Michael Ströck (mstroeck) - Created by Michael Ströck.Copied to Commons from en.wikipedia.org., CC 表示-継承 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=694302による

ところで、私は国際結婚をしており、妻は福建系漢民族と客家系漢民族とポリネシア系台湾原住民との複雑な混血である。

結婚してみて実感したのは、同じアジア人ではあるものの、妻と私は文化的にもまったくの異民族であり、文化習慣がまるで異なる。

さらには遺伝子的な特徴が全く異なっている。

妻は骨格もそうだが、体質的には華南系、ポリネシア系の南方の要素が強く、暑さには非常に強い。

一方で寒冷耐性は低く、寒さには極めて弱い。

様々な面で観察すると、私と妻とは人類としての「種族」がまるで異なっているのを実感させられる。

さて、私たちの間に娘がいるが、この子は父親と母親が異種の混血である。

そうするとどうなるのか?

手足は母親の客家人系の系統を受け継ぎ長身痩躯で足も長く、少なくとも短足な日本人の私とは骨格がまるで異なっている。

しかし、免疫体質や寒冷地耐性などは私の系統を引継ぎ、寒さにも非常に強い。

背も高く、運動能力も両親である私達よりもはるかに高い。

言語能力は日本人の私など到底及ばないほど耳の機能が高く、マルチリンガルである。

言語の聞き取り機能が乏しい私などとは別の人種である。

しかし論理的な思考回路は私に似ていて妻は到底及ばない。

・・・どうも見ていると、両親のいいところだけそれぞれ受け継いでいるように思われる。

異なる人種間の婚姻
異なる人種間の婚姻は、親にはない能力を生み出すことが多い。
Okki, United States Navy, Lhcollins, Humor Multishow, 樂活高縣, Rudra Nayan Das (original works); Mess (derivative work) - File:AKB48 20090704 Japan Expo 08a.jpg, File:Admiral Harry B. Harris, Jr.jpg, File:Sean Lennon Saint Asbury Park NJ 09272013 LHCollins 400.jpg, File:Sabrina Sato at the Lady Night in 2022 (02).png, File:Ren Ho and Yang Chiu-hsing.jpg, File:Arata.JPG, CC 表示-継承 4.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=34829165による

同様なことは、欧州人と国際結婚した友人の子供たちにもあてはまる。

イギリスで暮らす国際結婚者である友人の息子の場合は両親とは異なる次元で知能が発達しており、普通の高校から飛び級でケンブリッジ大学に合格するほどだ。

ちょっと他の例も考えてみたらいい。

現在、日本のスポーツの世界では非常に多くのハーフが活躍している。

彼らの多くは、両親以上の能力を持っている。

俗に「交雑」とも呼ばれる異種交配は、両親それぞれのいいところを受け継ぎ、生物種としての能力を高めるケースが多い。

これは、遺伝子というものは近親的になると劣化するのと好対照である。

遺伝子がより異なるほど、劣性遺伝が発現しづらくなり、より優性な特性が出る傾向があるという。

もし、現生人類プロトタイプとネアンデルタール人が組織的に、意図的に交配を行ったのだとすると、・・・ネアンデルタール人あるいは現生人類プロトタイプは、こうした遺伝学上の理屈を、経験的なものも含めてなんらかの形で知っていた可能性があるのではないか?

氷河期においては、我々現生人類のプロトタイプも、ネアンデルタール人も、絶滅に近い状況にあったと推察される。

実際はどうだったのかは判然としないにせよ、ネアンデルタール人の男性が、現生人類プロトタイプの女性を妻とする、という社会的な方針を取ったと思われることは、たとえば男系のR染色体はネアンデルタール人を引き継ぐが、女系のミトコンドリア染色体は現生人類プロトタイプを引き継ぐということになる。

気候に適応するためなのか、ウイルス対策だったのか、それとも形質を変更する意図があったのかはわからないが、こうした交配は、一つの「政策」であり、きわめて遺伝子工学的な方法選択ともいえるのである。

遺伝上の重要な理屈があった可能性がある。

その理由は判然としないけれども、結果的には、それは成功し、ネアンデルタール人およびその他のミックスである現生人類は現代にまで生き延びてその数を60億人にまで増殖させている。

この交配は大成功といってよい。


易経遺伝子説

以前の記事で、易経の64卦がゲノムのトリプレット構造モデルと数理上同じものであることを書いた。

易経の起源 その2 易経と遺伝子との奇妙な関係
易経の起源 その2 易経と遺伝子との奇妙な関係

私は易経記号のオリジナル製作者が遺伝子を表現するために陰と陽の記号を作製した、などとは言うつもりもない。

それは証拠もないし、まったくわからない。

ただ、遺伝子の性質を考える時、その健全性や発展のためには異種交配が大きな役割を果たすことは確かで、もしネアンデルタール人と現生人類プロトタイプが組織的な交配を行ったのだとすれば、それは過酷な世界に生き延びることが可能な子孫を作り出すためであっただろう。

彼らはこうした遺伝子のメカニズムを知っていた可能性がある。

もし、当時遺伝子に対するなんらかの構造的理解があったとするならば、それがどの程度の知識だったのかは不明であるが、現代とはまったく異なる方法論だったであろう。

これが行われたのはオールダードリアス氷河期の真っただ中であり、あまりにも遠い過去で記録も証拠もあまりに少なすぎる。

しかし起源不明の易経64卦は、遺伝子構造を表現しているとしても数理的にはおかしくない代物であり、氷河期になんらか遺伝子に関する生物学的な知識があったのかもしれないと考えることはロマンがある。


呪われたもの?

至聖三者大聖堂 (アディスアベバ)
至聖三者大聖堂 (アディスアベバ)。エチオピア正教会では、エノク書を聖書の一部として扱っている。Sailko - 投稿者自身による著作物, CC 表示 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=89636058による

エノク書に出てくる「天からの見張りのもの」が現生人類プロトタイプの女を妻とした、とする記述と、現代遺伝子科学が示すネアンデルタール人の男性と現生人類プロトタイプの女性との婚姻という事実には、非常に共通点があるのはたしかなことだが、ただ興味深いのは、エノク書において「天からの見張りのもの」は、常にネガティヴな存在として描かれていることだ。

彼らは人類を監視する役割を与えられていたにも関わらず、人類と交配し、「巨人」と呼ばれる異種の者たちを生み出した。この混血で生み出された者たち(これはすなわち、交配種である私たち自身?)に関しても、エノク書では極めて否定的に描かれる。

貪欲で好戦的で世界を混乱に陥れたと。

また、「見張りのもの」たちは天体の運行や地学的な知識、武器を含む技術の知識は人類に与えられるべきではないものだったにもかかわらず、それらを人類に教えてしまった。

そのため人類は武器を作り、戦争をするようになった。

結果的に世界は混乱し、神の怒りを買い、地上は大洪水で一掃される運命となる。

実際のところ、なにが起こったかは謎のままである。

人類と「見張りのもの」の間に生まれた「巨人」やその子孫「ネフィリム」といった記述もあるが、これについてもわからないことが多すぎる。

だがもしネアンデルタール人=「見張りのもの」であるとするならば、見張りのものと人間が交配して生まれた「巨人」とは我々現生人類の祖先であり、貪欲で凶暴な者たちであり、それが神の怒りの一因だったこととなる。

すると我々自身が現在に至るまで「呪われた種族」といえることになるのかもしれないが、実際、我々現生人類は好戦的で、いまだにあちこちで戦争も行っているし、貪欲で無限の欲望に満ちているというのもその通りではないのだろうか。

だとすれば、我々はそもそも神の怒りを買った呪われたもの、というべきなのかもしれない。

しかし、一方ではそれは過酷な環境の中でも生き延びるためには重要な性質であったかもしれない。

他者と競合して、相手を滅ぼしても自分だけは生き延びるという強い生存への貪欲さがなければ、過酷な寒冷期や天変地異の大洪水の中を私たちは生き延びることはできなかったかもしれないのだ。

ネアンデルタール人や現生人類プロトタイプが、結果的にはそのままの性質では大洪水の後の時代に生き残れなかったことからすれば、我々はその貪欲さを相変わらず現在に至るまで持っているけれども、しかし生存本能が優れたたくましい種族であるのかもしれない。

ゲノム解析というのはスゴイ技術だ。

ネアンデルタール人は我々の祖先でもあり、現生人類プロトタイプとの大規模な交配が行われていたことが事実であるとすると、エノク書のような非常に古いところに原典があるものの真意というものもこれまでとは違った視点で考えていくこともできるのではないだろうか。

「見張りのもの」が人類に与えた「知識」というのも、非常に興味深い。

それがどんな知識だったかは、当然、科学は実証手段を持たない。

しかし歳差運動などの地学的な知識は、経験論的に長い期間にわたる観察が必要であるし、また数学的知識といったものも起源不明の建造物には使用されており、しかもそこに至るまでの知識や技術の発達過程の証拠がない以上、エノク書が言うようにそれらは「与えられた」ものなのかもしれないのだ。

易経の起源についても、この時代に遡るところからもたらされ、極めて不完全な形で伝わってきたものである可能性はある。

ネアンデルタール人の時代にまで遡るかもしれない、と考えるのは証拠もなく空想に過ぎない。

が、我々現生人類は傲慢にならないほうがいい。

ネアンデルタール人との交配がなければ生き延びることができなかった程度の生物が我々現生人類なのだ。

また、6500万年前の白亜紀を論じる以前に、わずか10000年前のことすらなにも我々は知らない。

その程度の存在にすぎぬものが、世界の秘密をすべて知り尽くしたかのような顔をすることは傲慢以外の何事でもなかろう。


我々の持つ真の能力

現代科学は、旧石器時代や新石器時代に例えば天体の運行を計算したり、地球の地理や構造を理解することは「不可能」と断定する。

なぜならば、当時は紙もなく、記録を取ることもできなかったであろうし、複雑で膨大な計算を行うコンピューターも存在していなかった。

また遺伝子の構造などに関しては、電子顕微鏡もなく、次世代シークェンサーもない。

原始人に等しい当時の人類に、いったいなにができよう?というのが基本的な科学者の考え方である。

しかし、そうした考え方はある意味あまりにも自分を中心に世界を考える、驕った考え方なのかもしれない。

実際の話、そうした現代人の常識は、もしかすると正しくはないのかもしれないのである。

例えば、シュリニヴァーサ・ラマヌジャンのような人間が、この世には実在するのである。

ラマヌジャンは、正規の教育を受けた数学者ではない。

だが、彼は数字を見るだけでそれがどれほど大きな数であろうと素数か否か、またどうした内容の数式で表すことができるかを瞬時に言い当てることができた。

もしかすると、人間は本来、そうした紙と筆記用具を必要とせず、計算機などなくても数値を把握できる能力を持っているのかもしれないのである。

私たちは記録は紙に書いたり、現代ではパソコンにデータとして保存する。

しかし、古代世界においてはとてつもない分量の文書や記録を頭の中に記憶し、さらにそれを次世代に受け継ぐ役割の人間が存在していた。

古代インドの叙事詩として知られるヴェーダは、現在は出版もされている。

リグ・ヴェーダ
リグ・ヴェーダ。起源は非常に古く、定かではない。古来、口承で伝えられてきた。記憶能力だけを考えても、人間の本来持っている能力は計り知れない。現代はそうした能力を喪失しつつある時代なのかもしれない。
不明 - http://www.nb.no/baser/schoyen/5/5.20/ms2097.jpg[dead link], パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=103513による

しかし、元々は膨大な内容を口承で記憶し、世代を超えて引継ぐ伝統があった。

実際、現代でもヴェーダを古代からの方法で口承により記憶するヒンズー教徒の人たちもいるという。

日本の古事記も、元々は口承で伝えられてきた神話を天武天皇の時代に文書として記録したものである。

ホメロスの「イリアス」「オディッセイア」も、これは長編の文学作品であるが、元々は盲目の吟遊詩人が口承で受け継ぎ、町の一角で毎晩、多くの聴衆を前に物語ったものであり、「ホメロス」という特定の人物がいたわけではなく、こうした講談師のような吟遊詩人がたくさんいたらしい。

「ホメロス」とは、盲目の吟遊詩人全般を指した一般名詞だという。

以前、私自身が夢で未来のことを知るという不思議な体験を幼少時からしてきたことを少し書いた。

だがこうした経験は、実はもっと様々なことにおいて起きているもので、科学者の中には夢の中で懸案事項の回答を得た、と断言する人は実は非常に多い。

ニールス・ボーアや湯川秀樹などノーベル賞科学者でもそういった人は実在するのである。

もしかすると、現代科学というのは人間の天性の能力を限りなく低く過小評価して、紙と文字や数字を前提としたところに成り立っているのかもしれない。

私は凡人なので、紙に書かねばすぐに忘れてしまう人間である。

だから、科学的思考を決して否定するものではない。

しかし、科学の領域では入りきれないことがこの世には存在すると思っている。

このブログは「非科学的」な占いに関するブログである。

だが、こうした領域は、非常に未解明の多くの要素を持っていると思う。

次回以降、機会があればそうした科学でどうしても割り切れない人間の能力について、もう少しいろいろと考察をしてみたいと思う。


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