王弼(wikipediaより) |
王弼(226年 - 249年)は、三国を統一した魏の時代の官僚で学者である。
彼は非常に聡明で、「易経」や「老子」に斬新な解釈を施した。
現代の易経の解釈は、王弼の解釈が基盤となっている。
その考え方は驚くほど現代的ですらある。
わずか24歳で亡くなっている。
固定観念だらけの人間の世界
私たちは原則や規則を設定して、世界をその中で説明しようとする。
社会とはある種の規則だ。
いろんな人がいるのが社会である以上、共通のルールを設けなければならない。
共通のルールとは、法律であり、常識であり、道徳である。
もちろん、これらの共通ルールは社会が成り立つためには必要だ。
これらがなければ私たちは安全な社会生活を送ることができない。
だが、私たちの人生においては、共通ルールの範囲内では対処できないような状況もしばしば発生する。
特に危機的な状況においては、法律も常識も道徳も無力である場合は多い。
こうした状況では、共通ルールが固定観念となってしまい、私たちは危機をさらに深刻化してしまうことも多い。
漢の時代の道徳論
漢の高祖、劉邦。wikipedia「前漢」より。混乱の中国を統一した漢により、中国は長い安定期に入る。しかし戦国時代のような思考の発達はなくなり、社会は停滞することとなった。 |
漢の高祖、劉邦。wikipedia「前漢」より。混乱の中国を統一した漢により、中国は長い安定期に入る。しかし戦国時代のような思考の発達はなくなり、社会は停滞することとなった。
古代中国を統一した漢の時代、儒教は国教として中国の価値基準を支配する思想となった。 周の時代を基準としてすべての価値基準を決定するというのがこの時代の共通ルールとなった。
漢代の儒学者たちは易経を含めた古代の経典を一字一句忠実に解釈して、当時の社会に当てはめようとした。
これは世襲される皇帝を中心に全てを固定化させようとする国策でもあった。
春秋戦国時代には活発だった思想分野も停滞した。
人間が頭を使って考えるのは、様々な新しい出来事を処理していくためである。
政治経済が不安定な時代には新しい考え方が必要となる。
乱世の方が人間は頭を使う。
だが漢の時代、長い安定が続いた。
途中、王莽による帝位簒奪事件が発生するが、王莽自身は強硬な復古主義者で、周の時代の理想政治を基準に政治を行おうとした。
しばしの混乱の後、光武帝による漢の復興で、中国は再び安定の時代に入る。
人間の思考は再び停滞した。
易経についても、本来の占いの書としての性質は無視された。
この時代、易経は宇宙の原理を表す聖典とみなされ、占いとはまったく異なる使われ方をしていた。
易経は縁起の良い日時や方角を占うための基準であるとして、狂信的な教条主義者たちが易経に自分勝手ででたらめな解釈を施した。
それらの根拠はほとんどが勝手な思い込みに基づくものだった。
こういう停滞した時代は人々が生き方を選択したり変革したりすることが難しい。
本来は流動的な状況を生き抜くための占いの書物である易経は、停滞した時代においては権威主義者の玩具に過ぎなかった。
乱世と易経
魏の武帝・曹操(Wikipedia「曹操」より)。乱世となった中国において華北を支配する。三国志では悪役として描かれることが多いが、優れた軍人であり政治家だった。現実主義的な文化人で高い教養の持ち主でもあった。曹操は自ら兵法書「孫子」に注釈を施している。乱世においては固定観念にとらわれないものの見方が重要であった。王弼と似た部分がある。 |
400年近く続いた漢は、二世紀末には大きな混乱に陥る。
地方政権が次々と独立し、漢王朝が事実上消滅すると、中国は再び未曽有の混乱の時代に突入した。漢の時代の価値観は崩壊した。
三国時代という動乱期が訪れたのである。
易経についていえば、この時代に一人の天才が現れた。
魏の官僚だった王弼である。
王弼は、道教から大きな影響を受けた思想家だった。
彼の関心は「老子」と「易経」に向けられていて、彼はこれらの解説書を書いた。
易経に関して言えば、現代の易経解釈は、王弼の解釈が出発点となっている。
三国時代は、動乱の時代で価値観が崩壊した時代だった。
人々は新しい価値観を手探りで探さなければならなかった。
それまで固定観念的な解釈を強要されてきた古典作品も、現実に役立てるための解釈が必要となったのだ。
三国時代には「老子」や「易経」など漢の時代には儒教から否定されてきた古典が見直されるようになった。
いろいろなものの価値が見直されるようになったのだ。
魏の曹操は、兵法書である「孫子」に対して解説を書いている。
「孫子」については、現代においても軍人であった曹操の書いた解説がスタンダードである。
中国の三国時代は動乱期であったから、教条主義ではなく、実際の人生経験に基づく古典の自由な解釈が盛んになったのだ。
王弼の易経解説も、徹底して現実主義的なものである。
王弼の易経
「王弼の易注」塘耕次著(明徳出版社刊)。王弼の易経解釈については日本ではこの本が出版されている。王弼の考え方を知るには最適の書籍である。 |
「王弼の易注」塘耕次著(明徳出版社刊)。王弼の易経解釈については日本ではこの本が出版されている。王弼の考え方を知るには最適の書籍である。
王弼は、易経をシンプルに「占いのテキスト」として扱った。
易経は皇帝の存在意義を示す予言書ではない、と彼は言う。一般人が自分のことを占って、どういう状況にいるのかを判断するための道具なのだと王弼は主張する。
私たちが直面する様々な状況において、生き抜くヒントを得る書物が易経だと王弼はいうのである。
これは考え方としては現代の易経に対する考え方そのものである。
王弼は、易経を貫く原則を「無」であるとした。
無と対立するのは象(形、固定観念)だ。
彼が「無」と言うのは虚無という意味ではない。
決まった形がない、ということを王弼は「無」と表現している。
老荘思想の影響がある、と学者たちは言う。
だが、王弼の易経解釈は非常に独創的でもある。
易経が意図する人間像である中庸と王弼の言う無は同じものを指している。
王弼は64卦を「時」だという。
英語で言えば、Caseということ。
たとえば、私たちは毎日いろんな状況を経験する。
職場でも急に取引先とトラブルが発生したり、責任者が入院したり、かとおもえば思わぬ大量注文が入ったりする。
あなた自身は何も変わらない。
だが状況は刻一刻と変化し続ける。
トラブルが発生して、非常に困るとしても、それは一つの「時」に過ぎない。
64卦が示しているのはそうした一つの「時」であり、さらにその「時」のなかで刻々と状況は移り変わるのが爻(Lines)に示されている「時」である。
さらに、こうした「時」もさらに変化していく。
固定した「時」はない
王弼の解釈する易経においては、すべては無=固定されていない。いいことも、悪いことも、永続するものはなにもない。
無とは常に移り変わり、不定形であることを意味する。
トラブルが発生してあなたが困ったとしても、それはまた別の「時」へと変化していく。
物事には、固定した価値もなければ、固定した善悪もない。
王弼は老荘思想に大きな影響を受けているというが、もともと易経自体が移り変わりの思想で貫徹されている。
王弼の易経解釈は、老荘思想の影響というよりは、もともと易経はそのような価値観で編纂されていると私には思える。
易経を成立させた背景と、老荘思想の背景は、同じような時代の、同じような考え方から発生してきている。
別に王弼は老荘思想の影響を受けて易経を解釈しているわけではないのだと思う。
むしろ易経を実際に占いとして長年使用していけば、結論として王弼のような考え方になる。
なのにそれを誰それの影響云々と言いたがるのは学者の悪い癖だ。
影響の指摘は、推測に過ぎないことも多く、ナンセンスである。 王弼はそれほど長く生きていない。 その生涯はわずか24年にも満たない。
占い師が長年易経を占いに使用して初めて気づくような観点を、まだ二十歳前後の彼がダイレクトに指摘しているのは、非常に鋭い感性のなせる業だといわざるを得ない。
一般に王弼は天才といわれるが、感性が非常に鋭いのである。
彼に関しては、素直に天才といっていいと思う。
彼の考え方は現代にいたるまで易経の解釈に決定的な影響を与えているが、それは易経の本質を見事に見抜いているからだ。
固定観念からの脱出
実は易経は儒教の教条主義とは無縁の代物だ。易経は長い経験論の中で確立してきた。
現代につながる易経の象は孔子学派のものだという。
だが、象などを編纂した時代の儒教は、固定観念を押し付ける思想団体ではなかったはずだ。
儒教にもいろいろあるけれども、現代的な朱子学系統の儒教は往々にしてドグマティックである。
易経は、基本的に困難に対処するためのものだ。
困難な状況は、その多くが固定観念から発生している。
そうした固定観念を破壊するために易経は書かれている。 易経は道徳の教則本ではない。
むしろこの書物は教則を破壊して自由な発想を回復させるための書物である。
あなたが易経占いをやってみたら、このことはよくわかるはずだ。
易経占いの結果は、しばしば自分が予想していないものである。
あなたはショックを受けることも多いだろう。
だが、それでいいのだ。 あなたが易経占いの結果にショックを受けるということは、あなたが持っていた先入観や固定観念が破壊されることである。
私たちが直面する困難の多くは、先入観や固定観念を破壊しなければ解決しない。
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