確率論から感じられる易経の意志

易経は、数理的な構造をしている。

確率論を当てはめることもできる。

今回は、私個人の体験をご紹介する。

起こるはずがないと思われることが起こるのが私たちの人生だ。

しかし、偶然と思われることには、なんらかの力が関係しているのかもしれない。

ある途方に暮れる出来事

易経占いは、非科学的である。

そのことは、繰り返し書いてきた。

しかし、易経占いが非科学であるとしても、無意味だとは言い切れないのはなぜか?

不測の事態が発生することは、私たちの人生ではよくある。
不測の事態が発生することは、私たちの人生ではよくある。

例として、私の以下のような体験をあげよう。

私が事業を営んでいたとき、大阪で、ある店と懇意にしていた。

大阪で事業を展開している会社の店で、本店ではなかったが、有力な店であった。

その店は、ご年配の優良顧客が買い物に来られる店であった。

高齢者向けの商品を取り扱う私の会社にとっては、非常に重要な取引先であった。

私たちは、ここで年に数回のイベント販売を行い、非常に大きな売り上げをあげていた。


ところが、この店の課長が代わった。

新しく赴任した課長は、なぜか私の会社を敵視した。

私の会社が彼になぜ敵視されるのか、私には理由がわからなかった。

課長命令が出され、いきなり私の会社は取引を打ち切られ、私たちはその店には出入り禁止となった。

私の会社を担当をしていた、その店の若い主任は、課長に考えを改めるよう説得を試みてくれた。

だが、課長の方針は変わらなかった。

私の会社はその店から取引を打ち切られた。


易経占いで不思議なことが起きた

この取引先がなくなると、私の会社は大きな損失が出る。

悩んだ私は、易経で状況を占ってみた。

すると、次のような結果を得た。


鼎(てい="Holding")

⚊ 6th:陽

⚋ 5th:陰

⚊ 4th:陽

⚊ 3rd:陽

⚊ 2nd:陽

 ×  1st:老陰:変爻(Change)


ここでは、1st 陰 初6(First6)が老陰(Old yin)で変爻(Change)が出ている。

次のような意味となる。

「鼎(Ding)が足をさかさまにしてひっくり返っている。鼎(Ding)の底にあった古い汚物が出てしまうので、都合がよい。妾をつくって、子供を授かるようなもの。良くないことのように見えてかえって福がある。心配しなくていい。」

だが、私にはそれほど状況が楽観的だとは思えなかった。

私の会社の営業部長といろいろ対策を相談し、打開策を考えたが、いいアイデアは見つからない。

もうこうなってしまったからには、会社を清算したほうがいいのだろうか?と私は考え、もう一度易経で占ってみた。

ところが、まったく同じ結果が出た。

私が得た結果は鼎(てい="Holding")であった。

なんと、変爻(Change)の位置までまったく同じであった。

私はなんだか、寒気を感じた。

・・・このようなことが、あり得るのだろうか?


確率論

このような現象が起こる確率は、どの程度なのだろう。

日本の高校数学程度の確率論で考えてみる。

ここで考えるべき問題は、次のようになる。

「易経占いを行い、一箇所の変爻(Change)がある結果を得た。

もう一度、同じ問題を占い、まったく同じ結果が出る確率は?」

まず、三枚の硬貨を落として、陰、陽、老陰、老陽が出る確率はそれぞれどの程度であろうか。

紙に書き出してみる。

すると、このようになる。

易経で三枚の硬貨を落とす場合の、陰、陽、老陰(Oli yin)、老陽(Old yang)の確率。

さらに、易経占いを行い、1st 陰 初6(First6)が老陰(Old yin)の鼎(てい="Holding")が出る確率は、こうなる。

易経占いを行い、1st 陰 初6(First6)が老陰(Old yin)の鼎(てい="Holding")が出る確率

243/262144という確率だ。

だが、ここでは同じ結果がまた出たのである。

こうした現象が発生する確率は、次のようになる。

易経占いを行い、一箇所の変爻(Change)がある結果を得た。  もう一度、同じ問題を占い、まったく同じ結果が出る確率

0.000086%???

したがって、こうした現象が、自然に発生する可能性は、ほとんどありえないということになる。


私の占った問題は、その後どうなったか

大阪における取引打ち切りの問題がその後どうなったか。

実は、この問題に関しては易経で占った結果の通りに事態は推移した。

取引停止となった店を管轄している本店が、私たちの商品を取り扱ってくれることになったのである。

しかも、イベントもこちら側の意向に合わせたスケジュールで行えるようになった。

この本店は、大改装をした後だったから、客数も多く、私たちは以前の取引先よりもいい条件で商売ができることになったのである。

易経占いでは、このように、同じ問題を角度を変えて占ったとしてもまったく同じ結果が出ることはよくある。
易経占いでは、このように、同じ問題を角度を変えて占ったとしてもまったく同じ結果が出ることはよくある。

易経占いで、同じ問題を角度を変えて占ったとしてもまったく同じ結果が出る確率は、単純な確率論で見ても、その確率は0.000086%以下ということになる。

しかし、実際に、易経占いではこうした現象はよく起こるのである。

確率的には、可能性がないわけではないが、しかしゼロに近い。


ちなみに、この確率は、変爻(Change)が一箇所あれば、他の結果が出ても同じだ。

このように続けて全く同じ結果が出る確率については、高等数学では別な算出法があるのかもしれない。

しかし、その確率はさらに低くなるであろう。


人生は不合理であるが、無意味ではない

人生には、救いの手立てはあるのかもしれない。だが、それは見えない要素もある。どこから救済がくるかは説明できない場合は多い。
人生には、救いの手立てはあるのかもしれない。だが、それには見えない要素もある。どこから救済がくるかは説明できない場合は多い。

みなさんのなかには、易経占いは非科学的だと断定する人もいると思う。

占いが非科学的なのは私も認めている。

そこに実証手段はない。

しかし、こうした現象が発生するということになると、そこには誰かからの意図的な回答が含まれているのではないだろうか、と考えずにおれなくなる。

確率で言えば、そういう現象が自然発生する確率はかなり低いからである。

もし、意図的な回答があるとするならば、それは誰からの回答なのだろう?

それは、現代の科学ではわからない。

しかし、こうした現象が起こることを考えると、易経占いが無意味であるとは私には思えない。

人類は、不合理な生物だ。

不合理な行動は、必ずしも無意味ではない。

非科学なことも、無意味とは限らないのである。

それが私たちの人生である。


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