易経に限らず、占いというものは未来を予見すると同時に、運を測る手段です。
運とはいったいなんなのでしょうか?
今回は、私たちが運と呼ぶものについて考えてみます。
「占い」は大きく分けて二種類ある
俗に「占い」と呼ばれるものには、二種類あります。
一つは、占星術に代表される、出生年月日や生まれた場所などで運命を占うタイプです。
このタイプは、惑星の運行と生まれた日時を関連付けたもので、テレビで毎朝放送される星占いはこの系統です。
占星術の起源は非常に古く、世界各地でいろんなタイプの占星術が行われてきました。
占星術は、非常に古い伝統を持つ。世界中に占星術の伝統は存在する。 |
もう一方のタイプが、易経占いやタロットカードの系統です。
これらはシンクロニシティを基盤にしたタイプの占いです。
占う人の状況をカードや数字を媒介して反映させます。
ライダーズ版タロットの「愚者」。タロットカードは易経と原理は似ている。しかし、易経は哲学的であるのに対し、タロットは魔術的である。 |
占星術は惑星の運行を論理の基盤にしています。
易経占いやタロット占いは、そうした基盤があるわけではありません。
偶然出たカードの絵柄や、卦(Hexagram)を通じて、なぜ私たちが未来を知ることができるのかはよくわかっていません。
科学的に言えば、占いはすべて非科学的です。
しかし、易経やタロットとなると、科学からは最も離れたものと言わざるを得ません。
偶然出た結果にいまのあなたの状況や未来が投影されるとしたら、その根拠やメカニズムはなんなのでしょうか?
易経占いやタロットカード占いを科学的に説明することは困難です。
しかし、私の経験上、易経占いもタロットカード占いも、正しいやり方で占えば的中することが非常に多いです。
こうした現象はどう考えたらいいのでしょうか?
夢と未来予知
私は別のブログでも書いたことがあるのですが、実は幼少期から夢で未来を知るという、不思議な能力をもっています。
重大な出来事が起こる時、数日前に夢で予兆を見るのです。
夢が未来を警告するという現象は、私だけの能力ではなく、多くの人が同様の能力を持っていると予想される。メカニズムはわかっていない。しかし、夢も一種のシンクロニシティである。 |
地震であったり、誰かの死であったり、取引の決裂であったり、恋人との別れであったり、幼少時から私にとっては夢が未来を知らせてくれることは日常的なことだったのです。
子供のころから私はこの現象を不思議に思っていました。
まわりの子供たちや大人に話すと笑われたものでした。
大人になってからも、私の夢で未来を知る現象は続きました。
このような経験をしてきているので、私は未来を知るという現象は実在すると考えています。
未来予知は極めて主観的な経験です。
科学的には証明できるものではありません。
夢の中での未来予知も、易経占いも、科学的に言えば「偶然」にすぎないものです。
しかし、こうしたことを真面目に研究する学者もいます。
共時性という考え方
近現代でこうした現象を真面目に取り上げた学者の中に、C.G.ユング博士がいます。
彼は心理学者で、夢について膨大な研究を行った人です。
ユング博士の研究領域は、夢、象徴、神話と非常に広大です。
そうした研究の中で、彼は共時性という考え方を提唱しました。
共時性は、私たちが生きる世界が見えないところであなたも私もつながっている、という考え方を前提としています。
すべてがつながった領域が存在するのではないか?と彼は仮説を立てました。
そして「すべてがつながっている領域」を集合的無意識と名付けました。
ユング博士の考えるシンクロニシティは、彼自身の易経研究から導き出されたともいわれる。ユング博士は易経も研究していた。 |
集合的無意識は、私たちの中にも、外部の世界にも存在していると仮定されています。
この領域では時間が存在しないため、過去も未来も無関係です。
生物も物質も過去も未来もすべてがつながっているのが集合的無意識です。
これは巨大なネットワークであり、同時に巨大なサーバーのようなものでもあります。
ユング博士は、私たちが集合的無意識となんらかの「接触」をしたとき、夢での未来予知や「虫の知らせ」と呼ばれる出来事が起こってくるのではないかと考えました。
集合的無意識から送られる情報が、未来を警告してくれるのではないか、と彼は考えたのです。
そのようにして起こる「偶然の一致」という現象のことを、彼は共時性と呼びました。
たとえば、あなたの古い友人が夢に出てきて、懐かしい話をたくさんした。
翌日、あなたは夢に出てきた友人の訃報を受け取った。
これは、典型的な「偶然の一致」です。
たとえば、大きな取引が成立しそうな時に、急にあなたの車が故障したり、別の用事ができて契約が進まない。
あるいはどうも気が乗らずに契約日を延期した。
そうしているうち、取引相手が大きな負債を抱えて倒産した。
あなたは契約をしなかったので、倒産に巻き込まれずに済んだ、というような話。
非常に不思議ですが、こうした経験をしている人は、少なくありません。
これらは「偶然の一致」です。
しかし、もしこうした現象が集合的無意識の領域から発せられたメッセージの一種なのだとしたら?
私たちは、共時性を経験していることになるのです。
私はユング博士の著作を読み、こうした考え方だと、私が幼少期から見てきた未来予知の夢も説明がつくように思われました。
ただし、共時性には大きな問題があります。
共時性は個人の主観で認識されることなので、現代科学ではまだ証明手段がありません。
しかし、こうした経験をしているのは、私だけではないはずです。
易経と共時性
易経占いは、ランダムに筮竹を二つの束に分ける、あるいはランダムにコインを落とすことを通じて未来を占います。
易経は、知りたいことを思いながら、まったく無関係に思われる無機的な動作を行うことで卦(Hexagram)を出す。この無機的な動作というのが集合無意識との接触には重要であるようだ。 |
易経占いの場合は、正確に言うと私たちが易経に尋ねるテーマにおいて、私たちの現状を象徴として提示します。
私たちが正しい方法で易経占いを行うとき、出てくる結果は非常に現状を反映しているように見えます。
易経占いは科学では証明はできません。
しかし、経験上、私は易経で未来の見通しを知ることは「可能」だと考えています。
共時性の考え方で言うならば、易経占いは私たちが集合的無意識に接触するための一つの方法だと思われます。
タロットカードも、同じような集合的無意識との接触手段です。
この二つに共通するのは、
1)ランダムな動作で一つの結果を出す。
2)結果は「象徴」として提示される。
3)「象徴」は占う人の現状を反映し、複数の意味を持つ。
4)占う人の生き方が変更されると、未来も変更される。
共通するのは、いずれも「無作為」な動作から未来の見通しを得るということです。
そして、出てくる結果は、「象徴」として提示されます。
私たちは、「象徴」に対してインスピレーションを自由に発揮することで、将来に対する「運」を判断します。
結局、占いとは、現在および未来における、「運」の予想です。
運は、確定したものではありません。
私たちの態度や生き方が変更されるならば、それにともない「運」も変わってきます。
私たちが占いを行う目的は、現状の判定です。
今の私たちの現状が、そのままでいいのか、それとも変更されるべきなのか、それを判定するために易経やタロットカードは存在しています。
出た結果に対し、私たちがどう行動するかが、占いにおいては最も重要になってくるのです。
運とはなにか
それでは、運と呼ばれるものはなんなのでしょう?
私たちは、ことあるごとに「運が良い」「運が悪い」と口にします。
しかし、私たちは一般的に、運とは、幸運、不運とのたまたまの遭遇だと思っています。
宝くじで当たるというのも運の一種です。
でも、「運」とは実際はもっと深遠なものではないでしょうか。
私は長年、易経に関わってきて考えるのですが、実は「運」とは、「誰かからの助けがあること」です。
みなさんも考えてみてください。
あなたが「運がいいとき」は、必ず、誰かがどういう脈絡なのかはわからないけれど、助けてくれたのではないでしょうか。
一般的に言って、宝くじが当たるような「運」は、これも運の一種だとしても、これは流れ星があなたに衝突するような意味での「運」です。
私たちが日常触れている「運」は、宝くじ的な運ではなくて、「誰かから不思議と援助を受ける」ということを意味します。
運がいい人というのは、不思議と危機に陥っても助けてくれる人がいる。それはあるいはシンクロニシティでもたらされている可能性がある。 |
流動的なお客を相手にする、飲食店やお店を営んでいると、不思議な経験をすることがあるものです。
なかなか売り上げが上がらなくて、本当に困って、もう商売をやめるしかないのだろうか?と思っていると、不思議とたまたま買い物に来たお客がきっかけとなって、お客を紹介してもらい、売り上げが回復したりします。
私は若いころ、営業の世界で各地を渡り歩き、そうした経験を何度もしてきました。
懸命にいい商品を開発しよう、いいサービスを提供しよう、と正当な努力をしている場合、非常に不思議なことに、困っていると必ず誰かが私を助けてくれました。
シンクロニシティとは、実は私たちが「運」と呼ぶことそのものなのではないか、と私は考えています。
夢で、近未来がわかるように、私たち現生人類は、ユング博士が提唱した集合的無意識の領域の延長上に存在しているのかもしれません。
私たちが、切実に困っていると、それは集合無意識のネットワークを通じて伝わり、どこからか助けようとする人があらわれるのかもしれません。
むろん、これは科学的にはなんの根拠もありません。
しかし、窮地に救済者が現れるという不思議な体験を、私は何度もしてきました。
この世には、なんらかの不思議なネットワークが存在しています。
だから、占いというような未来を判断する手段が存在するのだと思います。
占いは、基本的にこの不思議なネットワークにアクセスするための手段なのだと思います。
易経が考える運の法則
運、すなわち誰かからの不思議な援助を受けるには、どうしたらいいのでしょう。
この点について、易経は明確な法則を提示しています。
それは、「中庸」と呼ばれる態度をあなたが持つことです。
易経においては、これ以上の価値はありません。
「中庸」とは、こだわりがないことです。
自分の考えに固執せず、状況に応じて柔軟に行動することです。
どの方向から、なにが来ても、柔軟に柔らかく対応できることです。
中庸は、善悪とはまったく違います。
善悪は、状況によって変わってくるものです。
中庸は、状況によって変化する善悪に、柔軟に対応する態度です。
自分の意見にこだわらなければ、人は謙虚になります。
それはまた、今ある現実から逃避するのではなく、現実を受け入れて立ち向かうことでもあります。
こだわりを捨てること。現実と向き合うこと。中庸であること。易経は、幸運を得るための多くの指南を含んでいる。 |
易経で未来を占う場合、今のあなたが中庸で、現実に対して柔軟に立ち向かっているならば、いい結果が出ます。
逆にあなたが、柔軟性を失い、なにかにこだわってしまっていると、易経は警告を出します。
もし、易経占いで良くない結果が出たならば、あなたは一つの生き方にこだわって別の可能性を考えられなくなっている可能性があります。
あるいはあなたは中庸さを失い、悲観主義に陥っているか、現実から逃げようとしています。
そうしたあなたの態度は、あなたと集合無意識との良好なアクセスを阻害します。
集合無意識とのアクセスが阻害されれば、あなたの援助要請は集合無意識に伝わらなくなります。
あなたを助ける力は発生しませんから、誰もあなたを援助しません。
それが不運という状況です。
困難を生かす
易経の中には、困難を意味する卦(Hexagram)があります。
これです。
NO.47 困(こん="Confining"):困難、修行 |
実に興味深いのですが、この卦(Hexagram)は、困難を意味すると同時に、修行を意味します。
易経は、世界は常に移り変わっていくと考えます。
不運と思われる状況も、移り変わっていき、いつかはチャンスが必ず訪れると易経は考えます。
困難な状況は、あなたが受け入れて柔軟に立ち向かうならば、修行となります。
チャンスが訪れた時に、困難な時期の経験があなたの役に立ちます。
しかし、もしあなたが困難から逃避することばかり考えていたら、あなたは必要な修行を放棄するので、チャンスが訪れても生かすことができません。
その場合は、あなたはただ不運で困るだけです。
偉大なるシンクロニシティ
シンクロニシティの力は、私たちが考える以上に強大です。
あなたが中庸さを発揮し、自分の人生に対し敬虔になる時、あなたの存在から発する波動は集合無意識全体に伝わります。
あなたの窮地を感じた誰かから、必ずなんらかの反応があります。
それが運というものです。
シンクロニシティの力は強大である。私たちは、どんなに強がっても、シンクロニシティの力を借りなければ、多くのことが実現不能のか弱い存在だ。 |
結局のところ、易経占いは、あなたが今、運を得ることができる状況かどうかを判定します。
良くない結果が出た時、あなたがどう変わるか?によって、未来も変わります。
中庸な人間になるために、易経をあなた自身に対して使ってみるとよいと思います。
あなた自身の、日々の経験の中から、中庸に至る道を探るための手段が易経です。
自分のことを占うことで、あなたは自分と対話することになるでしょう。
あなたが易経を使うことで偉大な集合無意識からの援助が得られることを願います。
易経は、本来がそういう目的の書物です。
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