いいときもあれば、悪いときもある・・・易経の「循環思想」

 今回から、実際の占いに当たっての「易経」の考え方を探ってみましょう。

易経は、占いの書であるとともに、一種の思想哲学のテキストでもあります。

ここにある考え方は、東洋思想のエッセンスでもあり、ここから道教や儒教がむしろ影響を受けてきているという側面もあると思います。

ここでは難しくない言葉で、基本となる考え方を解説していきたいと思います。


循環思想とは

まずは、おなじみの易経のシンボル、「太極マーク」を見てください。

ウィキペディア「太極」より太極マーク「陰陽勾玉巴 (寿の字巴)」
ウィキペディア「太極」より太極マーク「陰陽勾玉巴 (寿の字巴)」


このマークがなにを意味しているか?を考えてみます。

「白が陽(Yang)」、「黒が陰(Yin)」だとしましょう。

「われわれ人間は、このマークの円周を時計回りに回っているちっぽけな存在である」

というのが易経の基本的な考え方です。

さて、円の中心から、円周に「半径」となる線を引っ張ったとすると、この半径には白い陽(Yang)を通っている部分と、黒い陰(Yin)を通っている部分があります。

仮に、白=陽=幸運、黒=陰=不運とした場合、私たちが円周をぐるぐると回るということは、常に白=幸運と黒=不運の割合は、刻々と変化していきます。

今いる位置に中心から半径を引いた時に、半径の線がどれくらい白=幸運を通っていて、どれくらい黒=不運を通っているかで運の良しあしを測ることができます。

白=陽=幸運がどんどん多くなっていき、すべてが白=幸運になった!・・・と思いきや、今度は黒=不運が発生してきて、進んでいく中でどんどん黒=不運の割合が増えていきます。

逆に、黒=不運がどんどん多くなっていき、完全に不運しかなくなってしまった!・・・と思いきや、今度は白=幸運が発生してきて、やがて白の割合がどんどん増えていきます。

私たちは、自分の意志とは無関係に、太極の円周上を絶えず動いていきます・・・。

それが私たちの「生」です。

そして、幸運と不運は、絶えず片方が増えていけば片方は減っていきます。

が、どちらかだけになった時、今度は反対の方が増え始め、これまで全盛を誇っていたもう一方は減っていきます。

・・・つまり、幸運も不運も、固定されてはおらず、常に相対的に変化していきます。

これが、易経の基本となっている「循環思想」です。

ひと言で言えば、いい時と悪い時は、相対的なもので常に変化し、増えては消えていく、消えればまた増え始めるという考え方です。


「不運」に対する易経の考え方

世の中を考えてみると、すべてはこうした「おごれるものは久しからず」、「日はまた昇る」の法則というものがあって、絶対的な幸運というものはありません。

また絶対的な不運というものもまたありません。

易経の占いが、一般的なおみくじと少し違うのは、易経では基本的に「人間は常に変化の中にいる」ととらえている点です。

私たちの「生」は、まるでメリーゴーランドのように太極マークの円周を回り続ける点である。
私たちの「生」は、まるでメリーゴーランドのように太極マークの円周を回り続ける点である。幸運も不運も、つねに変化し続けて止むことはない。

人間は、とかく「永遠の幸運」というものを求めてしまいがちです。

が、客観的に考えた場合、私たちは常に変化する状況の中に生きています。

だから、そうした極楽浄土のようなものはあり得ません。

これは逆もまた言えます。

つまり、今現時点での状況が八方ふさがりのであったとしても、易経の考え方としては、それが永久に続くことはなく、我慢して待てば、やがては状況はまた回復していきます。

それなのに私たちは、幸運が来ればそれが永遠の右肩上がりで続くものと錯覚しますし、不運だとすべてに絶望し、場合によれば自ら命を絶ってしまうのです。

人間というのは常に移り変わる状況の中に存在しているという観点があるならば、運の良しあしに一喜一憂するということ自体が実はばかばかしいことです。


実例「困("Confining")」で考えてみる

少し実例を挙げてみたほうがわかりやすいと思います。

あるクライアントの例です。

「長らくやってきた事業が、コロナの影響と長年の相棒の病気による離脱で続けていけなくなり、廃業しました。

黒字が出ているのに廃業しましたから、周りからはいろいろと言われましたけれど、自分ではこれ以上は無理だと感じたからです。

子供もまだ小さいので、仕事をしなければならないと思っています。

しかし、50歳を過ぎているのでなかなか仕事もありません。

仕事探しなどしてみると、ろくな仕事はなく、また大した仕事でなくても書類選考だけ不採用にされてしまいます。

なんだか絶望的な気持ちになってしまいます。

とりあえず自分にできることを、と思い、自宅でできるIT関連の仕事でもやってみようかと思っておりますが、やってみてよろしいのでしょうか。

占ってみていただけますか?」

困難。それは判断が正しかろうと、陥るときには陥る。
困難。判断が正しかろうと、私たちは時に困難な状況に陥る。事業の廃業は借金もなく無事に終えたが、今後の生き方をめぐっては、就職先がない状況が続いている・・・。

こうしたご相談は、昨今増えています。

新型コロナウイルス感染症が蔓延した後、世の中のレギュレーションは変更され、スタンダードが変わってしまいました。

彼の場合、そうした社会の影響もありました。

しかし加えて、彼と長年一緒に仕事してきた相棒の方が持病の悪化で仕事を続けられなくなり、退職したのです。

一人ではこれまでのようなスタイルで仕事を継続していくことが難しくなってしまったため、まだ借金を抱える前に、無借金の状態で手を引こう、と彼は判断したそうです。

しかし日本は今現在、決して景気がいい時代ではありません。

彼がなにか仕事をしていこうとしても、年齢が若くなければ仕事などなかなかないのが現状です。

彼ご本人の状況については、もう少し詳しく訊ねたところ、これまでの仕事上でいろいろとIT関連のことも本業ではないがやってきた、とのこと。

しかしながら、彼はそれが専門でもないため、わかっていないことや習得せねばならないことは多く、決断しようとして戸惑っておられるということです。

さて、占った結果は、

䷮ 困("Confining")

⚋ 6th:陰:上6(Upper6)
⚊ 5th:陽:95
⚊ 4th:陽:94
⚋ 3rd:陰:63
⚊ 2nd:陽:92
⚋ 1st:陰:初6(First6)

(変爻なし)

となりました。

「䷮ 困("Confining")」の解説ページのリンクをここに貼っておきます。

当ブログ「困(こん)」の解説ページから
当ブログ「困("Confining")」の解説ページから

まずは皆さんご自身が占い師になったつもりで、この方の状況をどう解釈するか、考えて見られてください。


最悪の状況だが「あなたが思うことは、いい方向に行く」とは?

この卦(Hexagram)は、文字通り、「困難」を意味しています。

このクライアントの現状そのものといってもよさそうな表象です。

しかし、卦辞(かじ=Explanation of the Hexagram)を見ると、次のようにあります。

「あなたが思うことは、いい方向に行く。あなたは今、困難に直面しているが、困難に立ち向かうのは在り方として正しい。賢者は吉でめでたく、問題ない。あなたの言い訳は信じてもらえない。」

「あなたの言い訳は信じてもらえない。」というのは、今現在の状況。

されど、判断としては、

「あなたが思うことは、いい方向に行く。あなたは今、困難に直面しているが、困難に立ち向かうのは在り方として正しい。賢者は吉でめでたく、問題ない。」

というのですが、なんだか矛盾しているようにも見えます。

それでは、「ひと言アドバイス」ではどのように書かれているのでしょうか。

命がけで困難に立ち向かいなさい

これだけです。

困("Confining")は、その構成からの性質として、解説ページにはこうあります。

下は落とし穴、非常に困難な状況。

上は悦び。

基本的には、困る、困窮などを告げる卦(Hexagram)。

しかし、上に「悦ぶ」を意味する「☱ 兌(だ:Dui)」="exchange"がある。

困難を受け入れ、立ち向かうことで喜ばしいことが生まれる。

つまり、彼は今現在、困難な落とし穴に陥っているけれども、これを乗り越えようと努力することで、新しい可能性が生まれてくるし、その先には喜びが待っている、という意味合いを持つのです。


クライアントへの判断

以上を踏まえて、クライアントの状況を照合してみますと、

・彼は、あり方としては正しい→事業を廃業したことは、自分を守るための賢明な処置であった。そのこと自体は間違いではない。

・彼は言い訳があっても信じられない→事業をやめたことも、現在の状況で仕事を探すことも、なかなか人からは理解はされない。

・しかしながら、今回考えていることは、いい方向に行く可能性は大いにある。

・ただし、彼は命がけでこの困難に立ち向かわなければならない。

といったことが観て取れます。

易経では、踏んだり蹴ったりの状況であっても、見通しがあるとの判断が出てくるものも多い。それは易経の循環思想の考え方による。
易経では、困難状況であっても、いい見通しがあるとの判断が出てくるものも多い。それは易経の循環思想の考え方による。

「あなたは、一見、無謀なことをなされているようにも見えますが、実は冷静に状況を判断されてこられたのですね。

おっしゃっていることを易経と照合すると、事業を廃業されたことは賢明な判断だったと言えると思います。

もしそうしなかったら、あなたは体を害したり、また世の中の流れの中で行き詰まり、どうにもならなくなっていたかもしれません。

また、今考えておられることも、決して無謀なことでもありません。

ただし、今のあなたは穴にはまったような困難の真っただ中にいるのは確かです。

なぜならばあなたの判断も、あなたが持っている能力も、今現在は人には信じてもらえませんから、ご苦労されるのは止むをえません。

仕事を探そうとしても、なかなか世の中はあなたを信じないでしょう。

ですが、あなたが必死に努力していかれれば、結果的には喜ばしい状況になる、と易経は伝えています。

かといって、まだあなたは楽観視できるような状況ではありませんし、時間はかかるかもしれません。

が、焦らずに努力を怠らずやっていけば、見通しは次第に明るくなっていくはずです。

焦らず、あきらめず、思うようになさってよろしいのではないでしょうか」


困難や閉塞状況もまた移り変わる

易経の東洋哲学は、すべては固定されておらず、常に移り変わるということを前提にしています。

これは仏教でも「空」、すべては固定されたものなどない、とするのと似ています。

そこからすると、絶対的な絶望状況というのは無いことになります。

上記の例、「困("Confining")」も、「誰にも信じられず、窮地に陥った状況」ではありますが、にもかかわらず「思うことは通る」といいます。

これは、「困("Confining")」の場合は、閉塞状況に陥ってはいるが、基本的な考え方や態度は「正しい」からです。

しかし、「正しい」としても人間界は大きな移り変わりの中にあり、ちょうど私たちは太極マークの円周をぐるぐるとメリーゴーランドのように回っています。

時にはあり方が正しくても、窮地にも陥るのが人間です。

易の循環思想は、季節の移り変わりにも似ている。困難な冬も、やがては雪が解け春となる。困難な時の身の処し方が重要である。
易経の循環思想は、季節の移り変わりにも似ている。困難な冬も、やがては雪が解け春となる。困難な時の身の処し方が重要である。力や実力を蓄えるための好機ともとらえることができる。

困難や窮地に陥っているとき、私たちができることはいくつかに限られてきます。例えば、

・状況の流れが変わることを「待つ」。

・必死で努力する→今回の「困(こん)」の場合は、これにあたりますが、そうしつつも流れが移り変わるのは待つしかありません。

・自分の能力を隠し、身を潜めておとなしくする。→困難な状況にある人に、世の中は冷たい態度をとるものです。しかし、必ずあなたを理解してくれる人もいます。言い訳しないで努力すればいいのです。

・困難を通じて、自分の中に力を蓄え、新たな能力を身に着ける。

といったあたりが困難や窮地に対する易学的な身の処し方となってきますが、いずれにせよ、「待つ」というのが重要なポイントとなってきます。

困難な時期は、人からは相手にされず、能力を発揮することもできません。

が、それもまた一時のことですから、こうした時期こそ自分の力を蓄えたり、考え方を深めていくには大きなチャンスでもあります。

それは、循環思想、いいことも悪いことも常に移り変わって止まることがない、という考え方からすれば、当然そうなるのです。


「易経占いの考え方」については、不定期でいろいろな角度から易経の東洋思想をじっくりと見ていきたいと思っています。

いろいろと私もやることがあり、時間がとれないこともありますが、気長に書き続けたいと思っていますので、どうぞ気長にお付き合いください。


太極道人

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